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2つのイベントを終えて

今週は2つの大きなイベントを終えて
ホッとしたような、ドッと疲れたような、
感じでございます。

まず、6月12日に開催いたしました「まんがミーティング」で
ございますが、前回より2名増えて11名の方にご参加いただき
ました。お忙しい中、誠にありがとうございます。
詳しくは、イベントレポートの方でご紹介いたしますが、今回は
いよいよ具体的にみなさんと関西から漫画を発信してまいります
ことをご参加いただいたみなさまと共に確認いたしました。

漫画産業を関西に根付かせる小さな一歩かもしれませんが、
大きな結果につながると信じて実行してまいります。


続きまして、

大阪府中小企業家同友会北摂支部豊能地区例会での
弊社の経営報告についてでございます。

こちらは50名を超える地元企業の経営者のみなさまの
前で、恐れ多いこととは思いつつ報告させていただきました。
なんとか無事終えることができ、ご参加いただいたみなさま
から、過分にしてありがたいお褒めのお言葉や、暖かい慰めの
お言葉を頂戴いたしました。重ね重ね感謝申し上げます。


さて、今年もこのような機会をいただきまして、
なお一層、精進してまいりたいと考えております。
引き続き、ご指導、ご鞭撻、ご支援賜りますよう
よろしくお願い申し上げます。

小川 拝
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地元で「のぎくちゃん」連載開始!

5年目に入る四コマ漫画「きらめけ!のぎくちゃん」が
地元豊中市のインキュベーションセンターさんのWEB
サイトでも連載が開始いたしました!
全10回の予定でございます。

とよなかインキュベーションセンターさんの漫画ページ

地元の産業振興のお役に立てれば幸いです。
豊中で起業をお考えの方は
とよなかインキュベーションセンターにご相談
されると思いますが、その際に漫画もご覧ください。

京都国際マンガミュージアムに行ってきました!

昨日、京都でお客様とお打ち合わせがございまして、
その近くに「マンガミュージアム」もあったので、
帰りに行ってまいりました!




いままで、行こう、行こうとは思っていたのですが、
なかなか機会がなくて一度も行ったことがなかったのですが、
この機会を逃せば、また次はいつになるか分からないと
いった焦燥感と、見たことのない漫画が見られるとで少し
興奮気味でした。



ところが、昨日まで改装工事でして、あいにく休館でした。



「なんで今日に限って!」

入り口でどうしようもなく、悔しがっておりますと、
工事のお仕事に励んでおられる職人さんに「フッ…」と
鼻で笑われたような気がしたので、お仕事の邪魔はしては
いけないのでトボトボと帰りましたとさ。

おしまい

大阪府中小企業家同友会豊能地区例会のお知らせ

恐縮ですが、告知です。

来週、火曜日

「漫画中年になった経営者が見る夢」
    ~食えない仕事を食える仕事にするために~

と題しまして、大阪府中小企業家同友会豊能地区例会にて、
経営報告をさせていただくことになりました。

日時、場所の詳細をお知らせいたします。
===========================================================
日 程:6月14日(火) 18:30開会(18:00受付開始)
会 場:とよなか男女共同参画推進センターすてっぷホール
TEL:06- 6843-4343
豊中市玉井町1-1-1-601
(豊中駅下車すぐエトレ豊中5F)
参加費:無 料(懇親会費 飲み放題付きで3,000円 於:和民)
===========================================================

大阪府中小企業家同友会は中小企業の経営者が学び合う場で
ございます。従って、通常の例会では会員企業の経営者が報告し、
報告された経営課題について会員同士で討論いたします。
教科書には載っていない生の経営報告を聴き、自社の経営に活かせる
ということでございます。

今回、地元豊中市での報告ですので地元の方には、私の話を聞きに
というより、地元企業の繋がりをつくる良い機会ですので、ご参加
いただきたいと存じます。お近くの経営者にもお誘いいただければ
ありがたく存じます。

ご参加いただける方は、直接同友会事務所にご連絡いただくか、
画屋小川までご連絡いただければ手配いたします。
それでは、お目にかかれることを楽しみにしております。


続きまして、

「第3回まんがミーティング」
のお知らせでございます。

今現在、12名の方から、参加希望のご連絡をいただいて
おります。ありがとうございます。
有意義な会議にしてまいりますので、どうぞよろしくお願いします。

「まんがミーティング」詳細は弊社WEBサイトにございます。
ご興味がおありの方は、まだ間に合いますのでご参加ください。

「まんがミーティング」のページです。


それでは、また。

HAPPY GO LUCKY 8

一緒にやってくれていたS先輩は歩合制だったので仕事を
止めさせてもらいました。
辞めるといわれることを覚悟して新人Fヤンにも事実を
伝えました。会社の通帳も見せ、すべて隠すことなく伝えました。

会社を続けていく条件は、私とS先輩の給与を止め、
新人Fヤンの給料を減額することでした。
新人Fヤンは「がんばりましょう」と言ってくれました。
普通ならあり得ないことですが、そのおかげで今も
画屋が存続していると言うことです。ですから、
画屋が今も存続しているのは、S先輩と新人Fヤンの
おかげなのです。


さて、今までのピンチ、すべて経営者である私の仕業だと
お気づきの方も多いと思います。そうです、すべての原因は
私が経営者としての資質に欠けるということだと気付かされ
ました。
経営能力の高い人が社長ならもっと上手くいっていたかと
言えば、悔しいですが、その可能性は高いと思います。


最大の危機のさなか、知人から大阪府中小企業家同友会という
中小企業の経営者が学び合う会をご紹介していただきました。
会費を払うこともままならず、3ヶ月ほどゲストとして参加しました。
結局、もうゲストとして参加しにくいというところで入会しました。

目的は経営を学ぶことでした。
同友会での学びは大きく、徐々に売上げも回復することが
できました。売上げだけではなく、会社の経営には大きな目標が
必要だということを知りました。
それが経営理念です。私の人生理念でもなく、企業としての理念です。
それまでの画屋は私の人生理念とのエゴで経営をしていたと思います。

その為、経営理念も持たず、ビジョンもなく戦略、計画もなく会社を
設立したのですが、それでは永続的な経営が成り立たないことを
学びました。
個人事業の間はそれでもなんとかなるかもしれませんが、
会社を永続的に経営する場合はどうにもならないと思います。
どうにかなるのは一時的なことだと学びました。

おかげさまで、個人事業、法人併せて9年を過ごせました。
ここに記されていること以外にも様々なことがございましたが、
ともかく生き残っております。そうしている内に「画屋」は、
私が始めた事業ですが、私物ではないと感じるようになりました。
少し寂しく感じることもございますが、
働く人、応援してくれる人、お客様、地域の人、みなさんの
画屋であって欲しいと思うようになりました。


画屋は広告漫画でお客様のお役に立ちつつ、
娯楽としての漫画も提供してまいりたいと考えています。
それは読者のみなさんを慰め励ましたり、知識の入り口として
興味関心を喚起し豊かな生活を実現するような漫画です。

画屋で働く人のことを考え、協力会社のみなさんのことを考え、
読者、お客様のことを考え、地域のことを考え、より良い漫画の
あり方を模索しようと考えております。
それが、コンテンツ産業を関西に根付かせる方法だと信じて
おります。

これから、10人100人と仲間を増やしていきたい。
どうすればそれだけの仲間が生きていけるのか、
それに対する答えは、まだ出ていません。
そんなことは実現不可能だと言う方もいるでしょう。
しかし、この地域で漫画の仕事をすること自体、
無理だと考える方が多い中、おかげさまで画屋は
生かされ続けております。
私たち3人だけでもやってこれたのですから、
それだけの仲間が増えればもっとお役に立つ知恵が
生まれると考えています。
この春に、もう一人新人が画屋で働くことになりました。
来年の春も、そのまた次の春も新人がここで働けるように
なり、その次の世代へ繋いでいって欲しいと願います。

最後に、
漫画家を夢見て挫折した私が、この世界に作品を残す
ことはできないかもしれませんが、
読者のみなさまを慰め、励まし、楽しませ続けた漫画で
世の中のお役に立ちたいという思いは、
敬愛する漫画界の諸先輩方とほぼ同じだと思います。


画屋を代表して、
今後ともご指導ご鞭撻ご支援賜りますよう、
よろしくお願い申し上げます。


小川 満洋拝

HAPPY GO LUCKY 7

このままではいけない。
漠然とした不安や疑問が湧いてきました。

そもそも、漫画は漫画家の先生が出版社からの依頼で描きます。
ところが、画屋はというと出版社からのご依頼はございません。
漫画家になれなかった人間が始めた事業なので、先生もおり
ませんし、そこで働いているスタッフが雑誌デビューすることも
ないでしょう。
つまり画屋で漫画を描く仕事に就く時点で、漫画家としての道を
閉ざすということになります。
なのに、スタッフとして働く新人Fヤンに何か保障するでもなく、
このままでは他人の人生を巻き込んで、挙げ句、路頭に迷わせて
しまうのではないかという不安。というより、辞めてしまうだろう
という焦り。
本当に漫画家の道を閉ざしてしまって良いのだろうかという疑問。
このままではいけないという気持ちから、きちんとした事業にしよう
と考えました。そして新人Fヤンが入って2年目、画屋を法人化します。

いまだに、なぜ株式でないといけないのかという質問を受けますが、
それが一番きちんとした状態だと思い込んでいたからだというのが
答えです。もう少し勉強していれば、もっと違った形にできたかも
しれません。

働いてくれる人とその家族のことを考え、どうしてもきちんと
しなくてはという思いが勝ち、その年の暮れに法人化する
予定でしたが、前倒しして4月に法人化します。

しかし、悪いことに、法人化した2ヶ月後、設立資金と
法人化に伴う経費の増加、売上げの低迷に続き、
リーマンショックという最大のピンチを迎えます。

次月新人Fヤンの給料を支払った時点で資金が底を尽き
倒産というところまで追い込まれました。私の思いとは
裏腹に最悪の状況に陥ったわけです。
借金をすれば何とかなるのではと思われるでしょうが、
自己資金だけで何とかするつもりでしたんで、そんな
準備はしておりませんでしたし、実際に金融機関からの
借り入れはできませんでした。


経営者である私の給料はもちろんナシにしました。
それでも、どうしようもありませんでした。
すべて私自身の見通しの甘さが招いた結果でした。

その時、助けてくれたのがS先輩と新人Fヤンでした。


つづく

HAPPY GO LUCKY 6

新人を入れなければこれ以上は仕事を増やすことはできない、
と考えていたのですが、仕事も落ちついて現状維持でなんとか
やっていけるかという時に、新人Fヤンから入社希望の連絡が
入りました。
古巣に行って人捜しをしてから2年が経っていました。

その頃は新人を入社させてやって行けるだけの仕事は
なかったので、S先輩と相談しながら悩んでいましたが、
ここで断れば次はいつ来てもらえるのかわからなかった
こともあり、3名体制にすることを決断します。

私もS先輩も漫画家になるために、出版社へ投稿、
持ち込みをしていた経験があり、S先輩に至っては
受賞歴もあったので、社員教育ということをしてきま
せんでした。
ところが、この新人Fヤンの時にはそうはいきません。
即戦力というわけにいかず、仕事を教えながら、営業をし、
制作もする、といったような状況で、売上げは上がらず、
ここでも私のもくろみは外れ、人生とは本当に思うように
行かないことを痛感しました。

ただ、この新人Fヤンはかなりの努力家で、
その後、画屋になくてはならない人材に成長します。
そうなるまでには、このあとさらに2年程の時間が
必要になるのですが…。
ここで学んだことは、人を信じるということです。

この仕事に就きたいという希望者は多いと思います。
実際に画屋を訪れた若者も創業から10名を超えます。
ただ、仕事をものにしたのはこの時に来た新人Fヤンだけです。
はじめに「厳しいよ」と警告しているのですが、
それでもこの仕事をしたいという人が多いのです。

しかし実際はほとんど辞めていきます。
残念なことですが、早い段階で見切りを付けてもらった方が
良いかもしれないので、しかたないとも考えております。

その一年後、この新人Fヤンが厳しい現場を経験し、
メキメキと成長していくにつれ、
このままではいけないという焦りというか、
思いが湧き上がって来ました。

つづく

HAPPY GO LUCKY 5

1期目の売上げは5万円もなかったと思います。
ただ、中途半端なことはしたくないと考えていたので、
アルバイトもせず、少ない仕事でしたが全力で取り組み
結果を出そうとしていました。その時の姿勢は今も続け
ているのですが、それがお仕事をいただける理由だと
思います。

最初にいただいた仕事は、イラストの仕事でした。
1点500円。単純にひと月30万円の収入を得ようと
思えば600点のイラストを描かなければなりません。
当然、600点の受注もなければ、物理的に描くことも
できないわけで、その他に必要な経費も考えれば
それではまったく採算が合いません。
とにかく一件、仕事が欲しかったので、一所懸命に
しましたが、初めて本当に続けていけるのか不安に
なったのを覚えています。

その後、新規のお仕事をいただきながらに実績を挙げ、
採算が合うように制作単価も見直しました。
厳しいご意見をいただいたりもしましたが、おかげさまで
当時から今までお付き合いただいているお客様も多く、
正直にご説明することが大事だということも学びました。

多くの出会い、その方々のおかげで、
3年目には何とか生きていける様になりました。
以前、サイトにアップしていた「Happy go lucky」は
この辺りでアップしていたと思います。
その後は何の実績もない漫画描きとしては良い感じで
お仕事をいただけていたと思います。

ただ、仕事をすればするほど時間がなくなり、
個人で続けて行くのは困難だと感じるようになりました。
そのことは、ある程度見込んでいたので、
作家としてではなく「画屋」という屋号で仕事をしていた
のですが、当然そんなことは一般的に知られているわけ
でもなく、求人をどうすればいいのか悩んでおりました。

創業は私一人でしたが、2年目くらいから大学時代に
入っていたサークルの先輩、S氏に手伝ってもらっていました。
そんなこともあって、忙しくなって来た頃にもう一度、
古巣のサークルに行ってみたのですが、卒業して10年ほど
経っていましたし、OBだと言っても会ったこともない
オッサンが訪ねて来ているわけで、学生からすると不審者に
しか見えなかったのかもしれません。
当然のごとく私のもくろみは失敗に終わります。


つづく

HAPPY GO LUCKY 4

大学を出て、定職に就いた経験がなかったのですが、
30歳にしてようやく企業に勤めることになります。
卒業直後は不景気でなかなか就職できなかったのですが、
この時就職試験を受けた会社4社中3社から採用の連絡が
ありました。

いつの間に世の中は景気が良くなっていたのか!?

就職したのは某大手寝具メーカーの販売会社、
つまり営業会社です。就職した同期のほとんどが
半年以内に退職してしまうという仕組みのやつです。
入ってから知りましたが、就職試験に落ちる人は
いないそうです。

ここで初めて、営業と仕事とは何かを学びます。
漫画を描くのを辞めて、営業を覚えようと覚悟して
入ったので、寝食を忘れて仕事に打ち込みました。

結局、その営業会社には1年しか勤めませんでしたが、
納得する結果も出せましたし、私としては充分だと
勘違いして、改めて漫画の仕事をはじめます。

売ったとことのない布団もそこそこ売れたわけで、
今度は漫画を描いて売ればいいと考えていました。
そこが非常に甘かったといえば甘かったのですが、
その甘さがなければ、画屋が存在しないのも事実で、
もう少し営業の仕事を続けていれば良かったかと
いえば、そうでもなかったように思えます。

創業した後、当然ですが、私の思惑どおりにはいかず、
まったく仕事がありませんでした。収入もなく、開業後
半年間はひたすらWEBの勉強と営業活動の毎日でした。

お金がなかったのでWEBサイトを自前で作るしかなく、
いちから勉強しました。検索エンジン対策も、この頃から
意識して取り組み始めています。
ただ、WEBで結果が出るのはずっと後のことでした。

営業といってもどこに売りに行けば良いのか分からず、
飛び込み営業で漫画が売れるわけもなく、とりあえず
異業種交流会に出るくらいしかありませんでした。
そこで、その後の人脈に繋がる方々との出会いがあり、
今の仕事に繋がっていきます。ただ、すぐに仕事になる
わけでもなく、時間と共に少しずつお仕事になっていった
という具合でした。


つづく

HAPPY GO LUCKY 3

放蕩の限りを尽くしたのち、大学を出るのに5年かかりました。
卒業の年、私にとって唯一最大の庇護者であった母親が他界。
私の人生で最も辛い時期でした。

漫画家にならねばいけないと思い込んでいましたが、
生きていくためには仕事にも就かなくてはと思い、
ゲーム会社、デザイン会社の就職試験を受けました。
ゲーム・デザイン→イラスト→漫画、という様な、
自分に都合の良いこと考えていたわけです。

まずゲーム会社の就職説明会にいきました。
そこには美大を出た何十人という人達が
素晴らしい作品を持って来ていました。
この人達に敵うはずがないと思いました。
まさに井の中の蛙大海を知らずを体験し、
完全に自信を喪失してしまいました。

にもかかわらず、無知とは恐ろしいもので、次にデザイン
事務所へ面接にいきました。
20代半ば、美術系の専門教育を受けているわけでもなく、
何もできないのでは採用できないということでした。
くじけず夜間の専門学校に通い、DTPの技術を学んだ後、
再度挑戦しましたが、就職にはいたりませんでした。
その後、出版社に持ち込むための漫画を描き始めます。

結果からいうと、漫画家にもなれなかったのですが、
忙しい中、多くの編集者さんから、たくさんアドバイスを
いただきました。そのアドバイスをその時活かせなかった
のは誠に残念です。
漫画家にはなれませんでしたが、この時の経験と
いただいたアドバイスは弊社のスタッフに伝えることで
活かされております。

この時のもう一つの教訓として、アルバイトをしながら
プロの漫画家になるのは非常に困難だということです。
この教訓を活かし、画屋ではスタッフを社員として受け
入れることを目指しました。

私自身は、個人的にも様々な事情があり、30歳の年に
漫画家になる夢は一度あきらめ、就職することにしました。


つづく

HAPPY GO LUCKY 2

私は子供の頃から絵を描くのが好きで、チラシの裏やノート、
教科書、日直をやれば日誌など、いろんな所に落書きを
していました。観るテレビはアニメ、読む本は漫画、将来を
約束された様な少年時代でした。

中学に上がり2年生の時、「ルパン3世カリオストロの城」を
学校の映画鑑賞会で観ました。こんな絵が描けたら良いなぁ、
と思い、高校に行けなかったら、その道に入ろうと考えていました。
というわけで、全く受験勉強もせず、のほほんと過ごしておりましたが、
高校には絶対に行かなくてはいけなくなり、高校に進学します。

高校に入学するやいなや、先生が大学進学しない者は
今すぐ退学したほうが良いとおっしゃいました。
その時、歴史が動いていれば良かったのですが、
おとなしく勉強を始めます。
中学生の時に勉強していなかったわけですから、
すぐに勉強ができるようになるはずもなく、2浪して、
大学に入学します。

本気で漫画家になろうと考えたのは大学に入る前で、
合格する前から入るサークルも決めていました。
それが「関西大学漫画同好会」通称「漫同」です。
かの有名な「いしいひさいち」先生がOBなので、
きっと色んなことが学べるだろうと思い込んでいたのです。

入学後すぐさまそのサークルに入ました。
「よし、ここで漫画家になるための勉強するぞ!」と考えて
おりましたが、「漫同」とは漫画を愛する同好の士が集まる
所であり、漫画を研究するところではない、と先輩から教わり、
なぜかアルバイトと雀荘通いの日々を過ごします。

それでも漫画家になる夢はあきらめず、独自に練習を積み重ね、
それなりに上手くなったと自信をつけておりました。
自分が「井の中の蛙」であることに気付くのは大学を卒業した後の
話でした。


つづく

HAPPY GO LUCKY

昔々、「Happy go lucky」というタイトルで、
画屋のサイト上に私の履歴書的なページがございました。

少し前にスタッフから「なぜ、なくなったのか?」と問われ、
「なんとなく」としか答えられなかったのですが、
まぁ、このブログも社長ブログとして書いているわけで、
私がどんな経緯で起業し今にいたったのかを知りたいと
思う人もいらっしゃるのかなぁ、と考えたのと、

関西の漫画産業を復活させるなんてことを周りに
言い振らしているので、そう考えた経緯や方法など、
漫画に関係する内容だと思いますし、
もう一度やってみようかなと思い立ったわけでございます。


当時、「Happy go lucky」を書いたときは、
画屋(かくや)という屋号で個人事業をはじめて
2、3年くらい経った頃だと思います。
今でこそ、広告漫画サービスは探せば
そこそこ見つかると思いますが、
当時は「大阪で漫画を描いています」なんてことを
言うとちょっとバカにした感じでおもしろがられるのが
関の山、といった感じでした。

そんな中、自分のこと、やっていること、やりたいことを
何とか伝えたいという想いで、「Happy go lucky」
サイトにアップしたのを覚えています。
当時の記事を読み返してみると、書いた本人ですら
「で?」っていう感想しかございませんが、
それを読んでくれた若者が今、一緒に働いているのですから、
私の思いが少しは伝わったのかもしれません。

というわけで、全8回に分けて書き直し、書き足し、してみました。
「Happy go lucky」と言うタイトルは自分自身に対して
「楽天的な」とか「のんきな」という意味で付けていました。
当時、漫画、イラストを描いて食べていける勝算もなしに、
この事業を始めたのですから、自分にピッタリのタイトルだと、
今でも思います。


つづく。

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プロフィール

画屋(かくや)のタコ社長

Author:画屋(かくや)のタコ社長
関西から漫画で情報発信、株式会社画屋(かくや)


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