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HAPPY GO LUCKY 3

放蕩の限りを尽くしたのち、大学を出るのに5年かかりました。
卒業の年、私にとって唯一最大の庇護者であった母親が他界。
私の人生で最も辛い時期でした。

漫画家にならねばいけないと思い込んでいましたが、
生きていくためには仕事にも就かなくてはと思い、
ゲーム会社、デザイン会社の就職試験を受けました。
ゲーム・デザイン→イラスト→漫画、という様な、
自分に都合の良いこと考えていたわけです。

まずゲーム会社の就職説明会にいきました。
そこには美大を出た何十人という人達が
素晴らしい作品を持って来ていました。
この人達に敵うはずがないと思いました。
まさに井の中の蛙大海を知らずを体験し、
完全に自信を喪失してしまいました。

にもかかわらず、無知とは恐ろしいもので、次にデザイン
事務所へ面接にいきました。
20代半ば、美術系の専門教育を受けているわけでもなく、
何もできないのでは採用できないということでした。
くじけず夜間の専門学校に通い、DTPの技術を学んだ後、
再度挑戦しましたが、就職にはいたりませんでした。
その後、出版社に持ち込むための漫画を描き始めます。

結果からいうと、漫画家にもなれなかったのですが、
忙しい中、多くの編集者さんから、たくさんアドバイスを
いただきました。そのアドバイスをその時活かせなかった
のは誠に残念です。
漫画家にはなれませんでしたが、この時の経験と
いただいたアドバイスは弊社のスタッフに伝えることで
活かされております。

この時のもう一つの教訓として、アルバイトをしながら
プロの漫画家になるのは非常に困難だということです。
この教訓を活かし、画屋ではスタッフを社員として受け
入れることを目指しました。

私自身は、個人的にも様々な事情があり、30歳の年に
漫画家になる夢は一度あきらめ、就職することにしました。


つづく

HAPPY GO LUCKY 2

私は子供の頃から絵を描くのが好きで、チラシの裏やノート、
教科書、日直をやれば日誌など、いろんな所に落書きを
していました。観るテレビはアニメ、読む本は漫画、将来を
約束された様な少年時代でした。

中学に上がり2年生の時、「ルパン3世カリオストロの城」を
学校の映画鑑賞会で観ました。こんな絵が描けたら良いなぁ、
と思い、高校に行けなかったら、その道に入ろうと考えていました。
というわけで、全く受験勉強もせず、のほほんと過ごしておりましたが、
高校には絶対に行かなくてはいけなくなり、高校に進学します。

高校に入学するやいなや、先生が大学進学しない者は
今すぐ退学したほうが良いとおっしゃいました。
その時、歴史が動いていれば良かったのですが、
おとなしく勉強を始めます。
中学生の時に勉強していなかったわけですから、
すぐに勉強ができるようになるはずもなく、2浪して、
大学に入学します。

本気で漫画家になろうと考えたのは大学に入る前で、
合格する前から入るサークルも決めていました。
それが「関西大学漫画同好会」通称「漫同」です。
かの有名な「いしいひさいち」先生がOBなので、
きっと色んなことが学べるだろうと思い込んでいたのです。

入学後すぐさまそのサークルに入ました。
「よし、ここで漫画家になるための勉強するぞ!」と考えて
おりましたが、「漫同」とは漫画を愛する同好の士が集まる
所であり、漫画を研究するところではない、と先輩から教わり、
なぜかアルバイトと雀荘通いの日々を過ごします。

それでも漫画家になる夢はあきらめず、独自に練習を積み重ね、
それなりに上手くなったと自信をつけておりました。
自分が「井の中の蛙」であることに気付くのは大学を卒業した後の
話でした。


つづく

HAPPY GO LUCKY

昔々、「Happy go lucky」というタイトルで、
画屋のサイト上に私の履歴書的なページがございました。

少し前にスタッフから「なぜ、なくなったのか?」と問われ、
「なんとなく」としか答えられなかったのですが、
まぁ、このブログも社長ブログとして書いているわけで、
私がどんな経緯で起業し今にいたったのかを知りたいと
思う人もいらっしゃるのかなぁ、と考えたのと、

関西の漫画産業を復活させるなんてことを周りに
言い振らしているので、そう考えた経緯や方法など、
漫画に関係する内容だと思いますし、
もう一度やってみようかなと思い立ったわけでございます。


当時、「Happy go lucky」を書いたときは、
画屋(かくや)という屋号で個人事業をはじめて
2、3年くらい経った頃だと思います。
今でこそ、広告漫画サービスは探せば
そこそこ見つかると思いますが、
当時は「大阪で漫画を描いています」なんてことを
言うとちょっとバカにした感じでおもしろがられるのが
関の山、といった感じでした。

そんな中、自分のこと、やっていること、やりたいことを
何とか伝えたいという想いで、「Happy go lucky」
サイトにアップしたのを覚えています。
当時の記事を読み返してみると、書いた本人ですら
「で?」っていう感想しかございませんが、
それを読んでくれた若者が今、一緒に働いているのですから、
私の思いが少しは伝わったのかもしれません。

というわけで、全8回に分けて書き直し、書き足し、してみました。
「Happy go lucky」と言うタイトルは自分自身に対して
「楽天的な」とか「のんきな」という意味で付けていました。
当時、漫画、イラストを描いて食べていける勝算もなしに、
この事業を始めたのですから、自分にピッタリのタイトルだと、
今でも思います。


つづく。

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画屋(かくや)のタコ社長

Author:画屋(かくや)のタコ社長
関西から漫画で情報発信、株式会社画屋(かくや)


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